ONYXISと政治

お久しぶりです。たいきです。


今日はONYXISと政治ということで少し考えてみたいと思います。

ONYXISは模擬国連を活動の1つとしています。

その模擬国連を学問的ジャンルで見た場合「国際政治」というカテゴリーになります。

国際政治とはその名の通り国際的なレベルでの政治、つまり国と国とがうまくやっていくための関係づくりや世界づくりといえるかもしれません。


実際に議論の対称となることも

人権、安全保障、経済、地球環境、などさまざまです。

そして、国際政治のレベルで決定した物事は条約となり国が批准し、国内法となって私たちの生活に影響します。


社会を変える方法は2通りあって、

1つ目は自分の足元から変えていってそれが派生していくことで社会(世界)変えていく方法。

2つ目は社会(世界)の仕組みや制度を変えてそれが市民の生活を変えていくという方法。

だと思います。


国際政治は後者で、大きなものの枠組みから世の中を変えていく方法だと思います。


では、その国際政治の担い手として私たちは何が出来るのでしょうか。

ここで1つ自分自身に政治性が立ち上がってきます。


例えば外交官になって自国の意見を主張して海外で活躍するんだ。といったとします。

その場合、自分の主張は自国の主張と重なります。


他には、自国は戦争をやりたがっているとします。しかし自分は戦争は嫌で反戦運動を起こすかもしれません。

その場合、自分の主張は自国の主張とは異なります。


自国が独裁的で、自分が民主化を求めている、、、、、


など例を上げればキリがありません。

ここで、僕が言いたいことは、政治的意志をきちんと表明すること。そして自分たちで政治を作っていくこと。

それは、国内政治でも国際政治でも変わりません。政治を人間関係・生活の調整と見るなら友だち関係も政治性があると言えます。

政治に関心がないという人もいますが、自分の生活は政治に左右されるし、もちろん自分自身も政治性をまとっています。


この世に生きる限り政治から離れて生活することはほとんど不可能です。

たとえ、無人島で自給自足をしていても、いつか開拓民がやってくればお終いです。地球環境の破壊を停められず環境が変化し無人島で食べ物を調達できなくなったら、それは間接的に政治の力を受けて餓死することになるかもしれません。(極論ですが、、、)


そして、世間一般的に

「政治について考えることはいいことだ」

と言われていいます。民主主義国家に生き、民主主義を進めていこうとする国際関係に生きている以上あたりまえのことでしょう。


しかし、いざ自分が政治的主張をした時、

特に大きな権力、体制に反対する主張を表明した時に、

世間の目はどのようなものでしょうか。それは想像に難くありません。


つまりそれは、体制的になり批判的思考を失い、

物言わぬ考えない葦になるということではないでしょうか。


黙っていれば誰かがこの社会を作ってくれる、動かしてくれる。

大きな流れに乗っていればなんとかなるだろう。間違いはないだろう。


そう思っている人は多いと思います。

確かにそうでしょう。大きな流れ、強い力に付いて行けばなんとかなります。

わざわざ批判的に見て考えなくても今日と変わらぬ明日はやってきます。

しかし、本当にそれでいいのでしょうか。気がついたらこんなはずではなかった。と僕は言いたくはありません。



ONYXISは模擬国連をやっていて、国際政治を考える場所という側面を持ちます。

それは、多くの場面で自分の政治性をさらけ出し、自分を問い、枠を飛び越える必要があるでしょう。


海外に行って他国の文化を知ること、人々の生活を知ること、海外の人と友だちになること、

もちろんこれらは大切で重要な事です。

しかし、これは単なる国際交流や異文化交流に過ぎません。


そこから一歩踏み込んで、自分たちの生活を顧みて、自分自身を明らかにしていく作業をする。

そのあとで、他国と他国の人とうまくやっていく方法を模索していくことが出来るのではないでしょうか。

その過程で出てくる自分の意思や希望、夢、

それが、政治的な主張と成るのではないでしょうか。



秋もだいぶ過ぎて、冬の雰囲気も漂っています。空気が冷たいです。

今回の日中首脳会談は笑顔なき会談と揶揄されています。エボラ出血熱の死者は世界で5000人を超えました。イスラム国はもはやただのテロ組織ではないとも言えるまで成長してしまいました。

あなたは今、何を思い、何を望みますか。


堺 泰樹


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