ONYXIS 春の連続投稿 第4弾 「科学技術と未来」

4弾!初投稿のかなやんです。

バタバタしていて、投稿が遅くなってしまい、申し訳ありません。

自分の考えを表現する場を得られて嬉しいです。

 

 

今回の話は、「科学技術と未来」についてです。

 

 

最近、ニューヨーク白熱教室というNHKの番組で最先端科学から予測する未来についての講義を見ました。

歴史的に世界は科学が変えています。

第一の波は蒸気機関

第二に電気とエンジン

第三にハイテクノロジー(トランジスタ・ICチップ・タブレット型端末etc

 

 

 

そして第四の波は何でしょう?未来は科学の何が世界を変えているのでしょう?

白熱教室で、ミチオ・カク教授はそれは「人工知能・ナノテクノロジー・バイオテクノロジー」であると予測しています。

 

 

私は、科学技術のつくる未来のことを考えるとき、私はいつも心配に思うことがあります。

技術が進化していき、人々が「技術についてわからないまま使用する」という事態が増えていくことへの心配です。

今後、コンピュータは見えなくなっていくと予測されます。

壁に埋め込まれ、床に埋め込まれ、コンタクトレンズに埋め込まれ、

現実世界にコンピュータの世界が当たり前のように映し出される時代が来たとき、人はそれを当たり前だと感じ、そこに使用されている技術をよく知らないまま使用していくでしょう。

 

 

 

現在、電気が当たり前に流れ、コンセントにつないでスイッチを押せばどんな電化製品でも使用できますが、多くの人はそれらの仕組みを知りません。驚くことに、発電のされ方すら知らない学生もかなり多いのです。

 

 前回、Chiakiが「安全と安心」について言及していましたが、私も同じような考えを持っています。

たとえば、

パソコンから出ている光は安全なのか?

イヤホンから流れる音は安全なのか?

電子レンジでマイクロ波を照射して温めた食品は安全なのか?

多くの人の考えは、以下のようなものでしょう。

良く知らないが、安全なはずだ。

無くてはならないものだから、安全でないと困る。

 多くの人の、科学技術の安全性に関する考えは、確信よりも祈るような気持ちに似ている気がします。(前回のChiakiの投稿のコメントに引用されていた「人は見たいものしか見ない」という言葉、印象的でした。)

 

科学技術が目まぐるしく発展していく中で、人々はもっと疑い、知ろうとするべきであると思います。

 

 

 

 

 

以下は、おまけ的な文章です。*******

たいきさんのお言葉に甘えて、グローバル感のない話をしてしまいましたが、「科学技術とグローバル」ということについての自分の意見は、「科学技術が世界を一様にしていく」です。

スマートフォンは普及しているどこの国の人の生活にもなじんでいます。国を発展させようとなると、どこの国も同じような材質の同じようなガラス張りのビルや、大型ショッピングモールの建設が始まります。日本の都会も、アメリカの都会も、言ってしまえば似たようなものです。

世界が一様になっていくことは、いいことなのでしょうか?

それを、グローバルと呼ぶのでしょうか?

私はまだ答えが出せません。なんとなく、そうではない気がします。



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コメント: 14
  • #1

    TAIKI (火曜日, 21 4月 2015 08:34)

    とても好みの話でした(笑
    科学の産み出したものに100%安全なものはない。と、僕は思います。
    安全は証明できないと思う、システムにはエラーがあるし誰だって失敗する。その失敗を科学技術でなくせるというのもまたそれを産み出した人間の傲りではないか。
    ともあれ、科学技術の変化は人間から《らしさ》を奪っていく一方で(話が飛躍しました)、生活者としての私達はなにが出来るのだろうかと言うことだと思いました。

    ○問いにたいする自分なりの回答
    均質化はグローバルと呼べるのか。
    例えば今、グローバル化という言葉を使えば、もれなく均質化という意味がついてくる。
    世界規模で起きていることをグローバルと呼ぶなら、それもまた均質的です。

    また、科学技術の進歩がいつおきたのか、それが時代の境目だとすると、
    それは近代です。
    経済的発展をすすめ、金を信仰し、今までの多様性を否定してきました。合理的とされる価値を信仰してきました。
    この価値観は世界に広がりました。これが近代です。そして僕たちはその終焉にいるのではないか。
    経済成長しなくなった今、これ以上科学技術に何が求められているのか。これ以上の豊かさは必要なのだろうか、人間は求めているのだろうか。。。
    一方で、近代化の進む地域もたくさんあります。そこでは、グローバル化という均質化が起きています。外資系の企業が席巻し、開発し続けています。
    なので、僕はグローバルには世界が一様になることが含まれると思います。

    また、それが良いことかと言われると、意見が別れると思います。
    少なくとも僕は良いことだとは思いません。
    グローバル化して、良いことはたくさんあったと思います。今の僕たちの生活を支えるものとして存在しています。
    ただ、その代償として、何を失ったのか、何を忘れ、破壊してきたのか、
    科学は科学技術のようなものを想像しがちです(実際コメントでもその内容で使ってきました)。しかし、社会科学もこれまた科学です。システムを作り、経済を動かしたのも、人をシステムの上で動かす政治もこれまた科学的な思考の上に成り立っています。
    科学技術は、勝手に進みません。なにか人為的な理由があるのです。構造的に科学技術が進歩する理由があったのです。おそらく。僕はこの人為的なものにこそ恐怖があると思います。
    人々を動員し何かへ向かわせる。人々の世界観を変え、生き方を変え、生活を変えました。

  • #2

    Ryu (火曜日, 21 4月 2015 10:00)

    とても面白いテーマでした!全然自分の考えをまとめられてないですが,とりあえず思ったことだけ書いてみました.
    以下,僕の意見です.

    【一様化について】
    >>日本の都会も、アメリカの都会も、言ってしまえば似たようなものです。
    >>世界が一様になっていくことは、いいことなのでしょうか?

    かなやんやTAIKIの仰るとおり,日本の都会も,アメリカの都会も,姿かたちは同じように見えるかもしれない.両者共に米を食べずファーストフード店でハンバーガーを食べます.しかしながら,やはり日本人とアメリカ人は違う気がします.都市が発展して均質化したからといって,東京の人が漫才も見なければ,初詣にも行かないかといったら,やっぱり多くの人が正月にガキのつかいや漫才を見て笑い,神社へお参りに行くと思います.なんだかんだ”日本人らしさ”を持っていると思います.
    なので,一様化に対する問題意識が僕はちょっと分かりませんでした.

    【グローバル化について】
    グローバル化によって均質化が激しいのは,大都市であって,それは技術や人口がそこに集中しているからだと思います.もし,物質的な一様化によって科学技術が「全人類」に均等に浸透しているのならば,それは生活の質の向上の観点からは「いいこと」なのではないかと僕は考えます.ただし,現実には科学技術や人口は大都市に過度に集中しています.そのせいで地方都市からは人口が流出し,過疎化や高齢化が深刻になっています.(連続投稿第1弾のインドネシアのゴミ山の事例では環境問題にもなっています.)そのような地域間格差が生じるのは「良くないこと」だと思います.

  • #3

    TAIKI (火曜日, 21 4月 2015 10:23)

    Ryuさんにコメントします。
    時間がないので、手短に。

    気持ちの面では、違いがあるのは確かです。行動様式も違うし考え方も違う。
    しかし、日本人らしさというのも近代に入って国家を作るためにが作られた幻想であると思います。
    また、生活様式はどんどんアメリカ化しているのは間違いないと思います。食生活、イス生活、洋式トイレ、クルマ社会など、、、

    そして、宗教性も否定し続けていますよね。
    実際に神社やお寺にいって本気で神仏に願っている人がどれだけいるでしょうか。金を信仰対象に変えたのではないでしょうか。

    地域格差も同じです。何が原因で地域間格差が生まれているのか。明らかにグローバル経済が都市に負荷をかけています。
    その結果ではないでしょうか。

    事実として格差もあるし、問題もあり、解決しなければならないと感じます。しかし、その原因は様々あって、その1つにグローバル化もあると思っています。いい悪いではなく。

  • #4

    TAIKI (火曜日, 21 4月 2015 10:27)

    読み返したら、答になってませんね(笑

  • #5

    TAIKI (火曜日, 21 4月 2015 10:35)

    注目したいところは、大都市にも固有の文化があったはず、と言うことです。
    日本の都市でもわかりますが、いわゆる日本らしさ地域らしさは消えかかっているというか、ほぼ見えない。例外はあるでしょうが、、、

    技術の都市集中での地域間格差ということも確かに、一様に広がっていないからということもあるでしょう。しかし、もう一度問わないといけないと思っているのは、物的にに豊かになった国が幸せになったか、ということではないかと思います。
    固有の生活文化や、思想はどこへいったのかと言うことです。
    (文化帝国主義みたいになるので、あんまりここまで強くは言いたくないですが、分かりやすくするためにすいません。)

  • #6

    TAIKI (火曜日, 21 4月 2015 10:40)

    グローバル化、科学技術のひろがりは
    経済的な制度、思想の広がりでもあるので、国単位で導入されれば、それは均質に世界規模で広がるのではないでしょうか

  • #7

    TAIKI (火曜日, 21 4月 2015 12:03)

    初詣の事例は、違うところとしていいのではないでしょうか。
    しかし、社会システム(特に経済)、国内の格差の構造、資本主義、これらによる生活洋式のグローバル化(アメリカ化、均質化)は起こってないとは言えないと思うのですがどうでしょう。
    僕たちはそんなに日本的な生活してますか?
    日本的な信仰もってますか?初詣もどこまで神仏に祈ってますか?日本的な意味はもうないと思います。
    ということです。
    日本的というのも、最近のものですので、、、

    正月にがきつか見るというのも、
    家で娯楽としてテレビというメディアを使うということが広がっているとすると、それは均質化ではないでしょうか?
    それは、日本独自とは言えないと思います。

  • #8

    TOSHI (火曜日, 21 4月 2015 12:06)

    僕も"良く知らないが、安全なはずだ。 無くてはならないものだから、安全でないと困る。"と思っている節があるなぁと思いました。
    ルネ・デカルトは "Doubt is the origin of wisdom.(疑いは知のはじまりである)" と言っています。当たり前のことを疑うことはなかなかできていないことですが、当たり前に身の周りに存在していることだからこそ疑いの目を持つことは大切なのかなと思います。

  • #9

    Kazuma (火曜日, 21 4月 2015 12:23)

    かなやんさん、こんにちは。
    最近全く活動に参加できていませんが、ひそかにONYXISを応援している。
    かずまです。(知ってるかな?知らなくても仕方がない。参加できてないから。汗)

    この春の連続投稿は個人的に好きで、全部読ませてもらっています。
    中でも、グローバルというより科学技術に関心が傾いている僕にとって、今回の話題は大変興味深かったです。

    技術者志望の僕からの意見も言わせてください。

    [わからないまま使用することへのリスクについて]
    確かに普段から、その技術が安全かどうかということを気にかけることは重要です。
    どのような技術でも、絶対に安全ということはありませんから。

    でも、技術者は、使用者が当たり前に(余計なことを考えなくても)使うことができるようなモノを作ろうとしています。
    その際、彼らも安全かどうかは十分に考えていると思います。
    これは安全だ!と自信を持って、その商品を世に送り出しているはずです。

    しかし、予期しない使われ方をされたり、予期しない環境に置かれれば、故障や誤作動はおきてしまう。
    そうでなくても、見方を変えれば、彼らの考える安全は安全とは呼べなくなってしまうかもしれない。

    ですから、安全ではないかもしれないということを認識した上で、
    不安であれば自分で調べるという姿勢は大切だと思います。
    でも、疑いすぎてもいいことはないと思います。


    [世界の一様化について]
    僕も、りゅうと同じ考えで、問題が見えてきません。

    確かに、建物や乗り物は一様化するでしょう。
    良いもの(便利なもの、効率がいいもの)が残り、悪いものがなくなるのは人間社会の原理ですから、
    より効率のいい形になるのは仕方のないことだと思います。
    歴史的建造物やアートなども然りです。良いものは残り、そうでないものはなくなると思います。

    そんな中で、人々の文化や習慣が一様化することは考えにくいと思います。
    なぜなら、グローバル社会では、文化、生活習慣の違いを受け入れることが当たり前になっているからです。
    おそらく、世界で戦っている人たちには、
    無理に相手をこちら側に引き摺り込むことは良くないという共通認識があるのではないでしょうか。

    そう考えると、一様化することでの問題が見えてきません。


    [TAIKIの物質的に豊かになった国が幸せになったかという問題について]
    僕はその問を聞くといつも、技術的に発展することが良くないことだと言われているように聞こえてしまいます。
    当然、そんなことはないのでしょうが...

    あと、何を議論したいのかがよくわからない。
    何を持って幸せというのかというのがよくわかってないせいかな?

    [個人的に疑問に思ったこと]
    固有の生活文化や思想は無理して残さないといけないものなんでしょうか?
    結果的に残ているものを、我々がこれは固有の文化だと言っている。
    そういうものではないのでしょうか?

  • #10

    TAIKI (火曜日, 21 4月 2015 16:09)

    Kazumaさんありがとうございます。
    コメントバックします。
    ○安心安全
    おそらく、生活レベルではそう思います。
    ただ、疑問としては技術者に身を任せ考えずに物事を享受することシステムに身を任せることの危険性は大きいということです。
    原発は安全ということを信じていて実際は嘘だった。遺伝子組み換えや食品添加物、携帯の電波なども実際のところは安全かはわかりません。

    ○技術の発展と幸せ
    もちろん、技術の発展を否定しているわけではありません。批判はしています。何を幸せとするかも人それぞれでいいと思うのでそこは今はいいです。
    技術の発展は何のために行われているのか(ものによるとは思いますが)。たとえば、テレビが薄くなったとか携帯の画面が少し大きくなりましたとかはいったい誰がうれしさを感じているのか。また、うれしさを感じているとしたら誰に/何に感じさせられているのかということです。
    貧しい社会が豊かになるのは理論的には簡単ですが、豊かな社会が豊かになるのは難しいですし、どこに満足感を得るのかということです。
    もちろん、環境に負荷をかけないなどの技術の発展は必要なことだと思いますが、一歩間違えれば原発の二の舞になるということです。誰も幸せにならないことになるのです。
    また、均質化がなぜ進んでいるかは、皆さんもわかっているとおもいますが、金のためですよね。たとえば日本が高度経済成長を成功させたのは日本が均質化したためです。(ざっくりいうと日本中が都市型生活になったということ。)また、今のグローバル化も同じです。アメリカ日本などの豊かな国が金儲けをしたいために途上国を開発していますよね、搾取していますよね。世界の仕組みがそうなってます。援助と言いつつも本当に必要とする国には重点的に行われず、国益が優先されますよね。技術は結局そう使われるということです(あくまで今の社会では)。均質化はその代償です。
    自然の原理で経済は動きません。誰かが主導しています。これは陰謀論とかそういうのではなく、人が生み出すものである以上、人為的で社会的な理由があります。

    均質化の問題ということですが。
    均質な社会は問題に対応できない。対応に遅れて被害が大きくなる。
    均質化するということはシステムに身をゆだねることにつながるので今までもっていた生活のノウハウが失われる。
    ということだと思います。

    芸術やアートも自然淘汰ではありません。
    現在日本で西洋絵画が美しいとされているのも、近代化を進めるためにそれを取り入れ教育していったからです。インドネシアのジャカルタでJKT48が人気なのも音楽で金儲けをしたいからジャカルタに打って出たというだけです。
    経済の論理、自然の淘汰は進化論的でわかりやすいですが、それを文化に当てはめるのは暴力的です。
    現在途上国でも、このような文化の破壊が行われていくことは起こってくるでしょう。もしかすると積極的に自国の伝統を捨てることもあるでしょう(日本もそうでした)。しかし、それは個人の問題ではなく自然の摂理でもなく。人為的社会的な出来事です。

    ○固有の文化
    固有の文化を残さないといけないのか否かといえば、それは人々や社会の価値判断に任せるしかないと思います。
    しかし、僕はそれでは面白くないと思いますし、固有の文化は何百年の歳月をかけて受け継がれてきたものです。それを自分の時代で失っていいのだろうか。そういう疑問を持っているだけです。
    実際に固有の文化として残っているものはありますし、これから均質化が進むとしてすべてが均質化してしまうといったSFの世界になるとは今は考えられません。しかし、そのような可能性もあるのではないかということです。

    「グローバル社会では、文化、生活習慣の違いを受け入れることが当たり前になっているからです。」
    「無理に相手をこちら側に引き摺り込むことは良くないという共通認識があるのではないでしょうか。」
    とありますが、実際にアメリカがやってきたこととやっていることを知っていますか。
    「ショックドクトリン」http://democracynow.jp/video/20070917-1
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%B3
    個人レベルではそうかもしれませんが、国家や大きな権力などの介入による破壊行動もあるということです。

    「結果的に残ているものを、我々がこれは固有の文化だと言っている。
    そういうものではないのでしょうか? 」
    そうだと思います。ただ、昔から残っていると思っていたものが実は最近作られたものを思い込まされているということもありますが。
    「日本的~」とか「国民的~」とかはその多くが日本全体で共通しているものではないと思いかと思います。
    また、それらの文化を私たちはどのように感じているだろうか。たとえば、初詣も節分も地域差があるだろうけれど、その差はどれだけ残っているのか(詳しくはわかりませんが)、また、そこにあったはずの信仰心はどれだけ残っているだろうか。

    ○まとめ
    実際に現地に行って活動している人たち自身が文化を大切にするという気持ちを持っていても、個人ではどうしようもできないくらいの大きな社会構造が存在していること。説明しきれてないかもしれませんが、物的に均質化すると同時に考え方も均質化してしまうこともあるということ(例:宗教を否定するという考え)。この均一化のバックラッシュももちろんある。そのために固有の文化も残ってきた。

  • #11

    TAIKI (火曜日, 21 4月 2015 16:19)

    批判をするのは、そこに希望を見出すからです。希望がなければほっときます。勝手にやります。
    ただ、自分が考えてそうだと思うことも、実はそう思わされていることもあるということです。違った見方もあるということを提示することで新しい可能性を見出すことができると考えています。
    仕方ない・そういうもの・この道しかない、といってしまうと取り返しのつかないことになることもある。その連続が人間の歴史だったと思います。

    デカルトもいい言葉を言ったものです。

    僕はガンジーの言葉を引用します
    「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、 世界によって自分が変えられないようにするためである。」

  • #12

    TAIKI (火曜日, 21 4月 2015 16:28)

    書けば書くほど、答えになっていない気がしますが。
    一言でまとめると、経済合理性をもとにしてガンガンやってきた日本は(人間的な)問題だらけ。一方で、経済を第一としない社会の安定感が半端じゃない。
    http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9482.html
    主観的幸福度と所得水準の相関図です。原則的にはお金があるほうが幸せになるのですが、お金がなくても幸せという国がある。
    これはどういうことなのか。ということ。

    コメント求ム。

  • #13

    Kazuma (火曜日, 21 4月 2015 22:15)

    TAIKI、鋭いコメントありがとう。
    お陰で、りゅうとの議論のネタになりました。
    科学技術の発展について考える良い機会にもなりました。
    そして、かなやんがこのブログを書いてくれたことにも感謝しています。
    ありがとう!

    [技術の発展と幸せについて]
    個人的には、技術の発展はそれだけでワクワクします。
    実際にモノが売れるということは、人々がそれを求めている、それがいいと思っているということなので、
    それを得ることで、その人々は少なからず良い気持ちになるのではないでしょうか。
    必要ないなら誰も買わないはずです。

    でも、それを何も考えずに使えば良い、それで幸せ、ということはないと思うので、TAIKIのように疑問をもって、批判するということも重要だと思います。
    そういう批判的な意見を受けることで、技術者が、その技術が引き起こしうる問題に気づくことが出来るので、そういう意味では、すごく有意義かなと思います。
    しかし、批判から一歩進んで改善策みたいなものが出てくるともっと嬉しいなと思います。
    (問題に気づいているのに、改善策がないから批判しないというのは良くないので、あればもっといいなという程度です。)


    [均質化の話の中で引っかかったこと]
    金儲けのために開発していることは否めないですが、搾取という言葉には引っ掛かりを覚えます。
    現状を知らないのでなんとも言えませんが、おそらく、搾取するために開発を行っているというのは少し違うのではないかなと思ってしまいます。
    利益が出ない状態で支援し続けるというのは現実的じゃないので、利益をある程度優先させるのは仕方がないと思いますが、第2弾でりゅうが言っていたモンゴルの話でもあったように、地域の人のために動いている団体や個人だってあると思います。
    現在の、そのやり方に問題があるのであれば、問題提起するべきであることは間違いないと思います。


    [最後に]
    論点はズレますが、感じたので言わせてください。

    個人ではどうしようもできないくらいの大きな社会構造が存在するのはわかるけど、
    個人レベルでもできることはあるのではないかなと思います。
    僕は、そう信じています。
    日中交流事業や、日中韓交流事業に参加して、国家間で政治的な問題がある中、
    個人レベルでの活動や繋がりにその問題改善の希望を見出すことだって出来ました。
    変えられないところを嘆いていても始まらないので、僕自身、個人レベルで出来ることをやっていきたいなと思っています。

    ただ、問題を知るために、議論するのは有意義だと思うので、ONYXISの皆さんにはこういうのを続けていってほしいと思います。

  • #14

    TAIKI (水曜日, 22 4月 2015 02:31)

    Kazumaさん、ほんのすこしだけ。
    (社会科学は個人の感情をあまり見ません。そういう点でリアリティを描けないところがあります。ただ社会の傾向や仕組みをさらけ出すことに長けていると思っています。私ではなく私たちを見ます)
    1,モノが売れるのところで、個人の感覚としたらいいと思うからほしいと思うから買っていて思わない人もいる。しかし、
    その思いも社会の影響を受けているので、買わされているという見方も出来ますね。みんな、買い換える必要のない携帯も「新作出ましたすごいですよー」って言われたから買う、携帯を買うお金のある豊かな社会に生まれた、買い換えることがあたりまえの社会に生きている、など。
    2,搾取している人たちは特に搾取が目的ではないと思います。結果として搾取している構造になっているということ。その一方、実際搾取していることをわかってやっている多国籍企業の工場とかもありますよね。それもたくさん。
    だからフェアトレードとかの動きが出てきたりするわけではないですか?
    3,国家が支援するという以上、国益が優先されるのはわかっているのですが。他国を助けるということに損得(ここで言う利益)を求めるというのは、”支援”としてどうなのか、と感じます。
    4,大きな構造に対抗するためには小さなことから行うことしか出来ないし、それが有効であるということは重々承知してます。小さな動きにこそ希望はあると思います。ただ、その個別的な事例が全体としてどういう立ち位置にあるのかというところも抑えておく必要はあると思うということです。
    個別的な事例はたくさんあると思います。この活動はああでこうで、とか。こういう思いがあって、とか。それはとても重要だと思います。そこから見えてくる社会の全体像のほうがリアリティがあるようにも感じます。
    5,おそらく僕のしている現実を出来るだけ押さえる作業や批判は短期的な実践には役に立たないことが多いと思います。例えば、現実に貧困で死にそうな人がいるのに悠長に批判するな!工場の労働者の待遇改善して会社の経営が圧迫されて潰れたらどうすんだ!みたいな。なので、現実的なところは考えないといけない。一方で、異なる考え方・視点を提示することは世界観を揺さぶり、その後、感じたことをそれぞれの現場でそれを実践することで、支配的な価値観や社会構造をゆっくり動かせると思っています。だからといって、改善策を考えることを放棄しているわけではないです。小さなところに希望があります。
    また、別に嘆きたいわけでも絶望させたいわけでもなく、ただ、社会がそうなっているということをクリアにしたいと思っています。

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