こんにちは。TAIKIです
今日は、ONYXISの部会があり
G.A.Sを僕が担当しました。
テーマは「戦争のつくりかた」
ということで、政策的社会的にいかにして戦争が作られていくかということです。
具体的な作り方は
権力集中・情報統制・国民の統一といったことを進めていくことでしょう。
そこで、考える視点として「構造的暴力」というものに着目しました。
構造的暴力とは、社会構造によって生み出される、貧困・差別・格差など戦争の原因となる暴力的なものを言います
その具体例として
「ダーウィンの悪夢」というドキュメンタリー番組をあげました。
日本にも輸入されていた白身魚のナイルパーチを巡るお話です。
ナイルパーチが取れる湖の周りでは、ナイルパーチが存在しているがゆえに、貧困やエイズの蔓延、ストリートチルドレンなどが問題になります。
具体的には、検索してみてください。(Youtubeリンク)
もう一つは、
「丸山眞男をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争」(赤木)という論稿です。
内容は、いわゆる就職氷河期の時代、ポストバブル世代で就職ができず、フリーターとして親元で暮らしていた。
フリーターと言うだけで世間は冷たいし、いまさらどこの会社も雇ってくれない。
持っている人は、この構造を見て見ぬふりをして階層は固定化される。
その中で、打開策としてみんなが苦労する平等を手に入れるために戦争が必要だ。と述べる。
こちらも詳しくは全文を読んでいただきたい。(リンク)
今回言いたかったことは、
自分が当たり前に思っていること、社会で起きていることはその背景に社会構造が存在しているということです。
僕たちは、その社会の中でしか生きられないのです。
乱暴に言うと、自立した個人の意思などは存在しません。あるのは、選択させられている自分です。
ここからは、活動で議論したことではないですが、、、、
どうでしょうか、あなたの食べたものはどこから来ましたか?
あなたの価値観は本当にあなたが選びとったものですか?だとしたら、天才ですね。
今ここにいるのは、あなたの頑張りのお陰ですか?
頑張ることを教えてくれたのは誰ですか?英才教育を受けられるのはどんな人ですか?
はたまた、
あなたの着ている服は、どこで誰が作ったものですか?
今僕はTシャツを着ています。これは中国製です。
少なくとも、某アパレル企業のTシャツは中国でも作られていることがわかりました。
中国の工場で働いている人のお陰で、僕は服を着ています。
某アパレル企業はグローバル資本主義経済の中でしのぎをけずる企業です。
売らなければなりません。そのためには、縫製工場で働く人の人件費を安く抑えたいのです。
実際に、いわゆる発展途上国などの工場労働者は、安い賃金、払われない残業代、劣悪な労働環境そして長時間労働
という情況で働いています。このような報告は、ニュースでも度々取り上げられる問題です。
つまり、私たちは、このような労働者を搾取する構造の上で、布を体に巻き付けて生活しています。
また、なぜ、私はこのTシャツを買わされたのか。
理由は、
僕が大学生で、大学に着て行っても不自然だと思われない服であり、
親の仕送りで生活している中でも買える値段であること、
バイトで塾講師をしていて、服装はスーツなので、カッターシャツの下に着てもおかしくない服
などなど、
いたって個人的な要素はないですね。
色や形は自分で選んだのでは、と言われると思いますが
その色や形のバリエーションは、いったい誰が作ったものなのでしょうか。
10種類のカラーバリエーションを作ったのは某アパレル企業の戦略でしかないのです。
ああ、なんと。
搾取の構造に加担しているだけでなく、自分の自由意志なんてものはちっぽけなものだったとわかりますね。
自分がよかれと思っていることは、構造的に見たら、何も良くなかった
なんてことが、あるかもしれませんね。
そういった内容でした。
コメントをお書きください
TAIKI (日曜日, 31 5月 2015 00:06)
戦争のつくりかたも、1つの事例として。
Ryu (日曜日, 31 5月 2015 20:04)
>今回言いたかったことは、
>自分が当たり前に思っていること、社会で起きていることはその背景に社会構造が存在しているということです。
>僕たちは、その社会の中でしか生きられないのです。
>乱暴に言うと、自立した個人の意思などは存在しません。あるのは、選択させられている自分です。
こういった考え方も,誰かによって考えさせられているのかな?
ひねくれててすみません(笑)
Kazuma (日曜日, 31 5月 2015 21:43)
>乱暴に言うと、自立した個人の意思などは存在しません。あるのは、選択させられている自分です。
これは、今回のG.A.Sで「なるほど、確かに!」と思った点でした。
こういうのは、客観的に考えると確かにそうらしいと思うけど、主観的には、やはりそうであるとは感じにくい。
服だって、たぶん買うときは自分で選んでいるような気がしていたと思う。
普段から自分は常に社会によって作られているという感覚を持ち続けることは、おそらく難しい。
もしその感覚を常に持っていたらおかしくなってしまう気がする。
でも、そういう視点もあるということを知っていれば、自分が当たり前だと思っている感覚を疑うきっかけになるのかなと思う。
TAIKI (金曜日, 05 6月 2015 22:32)
Ryuさん
そうだとおもいます。自分の生まれてから無意識のうちに受け継いできた価値観や社会の中で無意識のうちに学んできたこと
大学に入ってから学んだことや出会いを通じて獲得してきたものです。
ただ、これは、社会の現象を捉える1つの立ち位置に過ぎないので、この考え方自体の是非や可否を問うことは不毛だと思います。
Kazumaさん
僕も自己決定をしているつもりです。ある意味、そうでもないとやっていけないですよね(笑
ただ、こう捉えることで、悶々としている時の突破口になるだろうし、社会で起きていることを自分事と捉えることができると思います。
ありがとうございます
TAIKI (日曜日, 07 6月 2015 12:58)
Ryuさん
あと、誰かにといったら、特定の人を想像してしまいますが、そうではなくて
自分の生きてきた背景、歩んできた人生、背負っているモノ(プライド、家族関係、友人関係、など)ですね。
で、#2の質問に対して答え直すと
僕自身が、こういった考え方、捉え方に気づいた・出会ったことには、社会的な理由があります。以上。
また、このような考え方自体が社会的に作られたものであるというのならば
「物事は個人が自分の独立した意思で考え、決定している」という考え方自体が社会的に作られたものということになりますね。
Ryuさんが自分質問を「ひねくれている」と感じるのも何か理由がありますよね。個人的でない。
Ryu (水曜日, 10 6月 2015 10:49)
なるほど。
社会の現象を捉える視点の1つとして,自分たちの思考,行動は社会の「何か」によって作られている。
そして,問題が発生してからあれが原因だった,あれがダメだったと考えるのではなく,事前に問題意識を持つことも大切なのではないかということがメッセージなのかな。
社会を構造的に捉えて問題に気づいた,「だからなんだ」ということが,まだ理解できてないのですが、、、
社会を構造的に捉える目的とか理由とか,気づいたあとどうするべきなのか,何ができるのか、がやっぱり気になってしまいます。気にさせられていますというべきか(笑)
TAIKI (木曜日, 11 6月 2015 18:31)
Ryuさん
ありがとうございます。
僕自身は、問題化することによって初めて、次の道が開けると思います。
例えば、地球温暖化。
地球の温度がどんどん上がるという事実があります。それだけでは地球温暖化は問題ではありません。
ただし、地球温暖化によって砂漠化や海面の上昇など様々な”悪いこと”(あくまで括弧付きで)がおこります。
だから地球温暖化は問題となります。また、地球温暖化が起こる原因を構造的見た結果、
CO2の排出量が多いことに問題があることにわかります。
ここでやっと、地球温暖化は、私たちの解決出来うる問題として現れます。
ほかもそうですよね。戦争はどのようにして起こるのか、ということを構造的に捉えることで
今、自分たちに何が出来て何が出来ないのか、が見えてくるのではないでしょうか。
TAIKI (木曜日, 11 6月 2015 18:33)
つまり、まずは、問題をちゃんととらえないと
漠然とモヤモヤしている情況はつかめないし、次にどうするのか、にもつながらないと思います。
気づいたあとは、みんなで考えましょう。ってことではダメですか?
特効薬というか、改善策は空から降ってくるものではないですよね。たぶん。
Ryu (金曜日, 12 6月 2015 08:49)
TAIKI
回答ありがとう.
2点気になることがあります.
1つは,地球温暖化については自動車の利用を抑えるとか,リサイクル頑張るとかして個人ができる対策があるけど,「社会的な構造に対する対策については個人が何かできるのか」ということ.
⇒某アパレル企業の構造的問題に触れてましたが,問題に気付いたからといって絶対その企業の服を買わないかといったらやっぱりヒートテックとか買ってしまうと思う.周囲にこの企業の服は絶対買うなとも言えないし,社長に言って製造工程を変えさせるということも非常に困難だと思う.結局スケールが大きすぎて,「どうしようもない」と思ってしまう...(まあ,だからこそみんなで考えようっていうことなのかもしれないですけど)
2つめは,「そもそも本当にそれが問題であるのか」ということです.
⇒確かに,一側面としてはそれは問題なのかもしれないけど某企業の例でいうと,社会的構造によって搾取している一方で,難民支援や障がい者支援を行っていたりします.それも本当に支援になってるのかどうか分かりませんが,その企業がお金を稼ぐことで助かっている人もいる.また,一部の国の工場では現地の労働者が劣悪な労働環境で働かされているのかもしれませんが,他の国や地域ではどうなのか...それが特に国の問題,特に外国との関係が関わってくると,今の現状に納得せざるを得ない気もする...
あ,でも
このコメントを書いてる途中にいろいろ調べて,問題に気付いた人がちゃんと行動しているという事実もなんとなく分かりました.某アパレル企業の労働環境についてはジャーナリストが潜入して現状を明らかにしています.
国の問題(特定秘密保護法,集団的自衛権とか)に対しても,同じように個人ができる行動がないかもう少し考えてみます.
TAIKI (金曜日, 12 6月 2015 16:10)
Ryuさん
ありがとうございます。
1.
結局ちりも積もればなんとやら、ということだと思いますよ。
自動車の利用もリサイクルも社会で一人だけがやっててもほとんど意味無いですよね。みんなが少しづつやるから意味がある。
服の話しなら労働者が組合作って交渉するとか、毎年買わないようにするとか、外から文句をいうみたいなのもありますし。
どうしようもないと言い出したら何も変わらなくて、大きく変えなくてもいいから少しづつ変えていくというスタンスでいいのではないでしょうか。自動車乗らないようにするとかリサイクルも同じことではないでしょうか。
2.
それが原因で苦しんでいる人がいることのどこが問題でないと言えますか?
実際の所、今の企業は、社会的責任(CSR)を果たすために、フェアトレードやそれこそ障害者支援難民支援など「良い」とされること(社会的なこと)を行なっています。むしろ、それをしていない企業は、評価が下がるので、社会的なことをやらざるを得ない。
一方で、企業は利潤を上げる必要があるので、どこかで切り詰めて利益を出す必要があります。この切り詰められた先にあるのが、搾取の構造ではないでしょうか。別に、社会的なことをすることを非難しているわけでなく。それに隠れて何やってるの?ってことではないでしょうか。
»»また,一部の国の工場では現地の労働者が劣悪な労働環境で働かされているのかもしれませんが,他の国や地域ではどうなのか...それが特に国の問題,特に外国との関係が関わってくると,今の現状に納得せざるを得ない気もする...
逆にほかの国では普通にやっていて一部の国だけ搾取されているというのは普通に考えておかしくないですか。
国の問題の具体例で言うと、
1.選挙に行く 2.デモに行く 3.友だちと話す 4.パブリックコメントを書く(政府に対する意見を政府は受け付けています) 5.問題意識を持つ 6.G.A.Sで話す
など、他にもあると思いますが、いろいろあると思います。
大きな船は急には曲がれない。でも、小さく舵を切っただけでも行き先は大きく変わります。
なので、自分たちで考えて小さくても良い方向に舵を切ろうではないか。って思いませんか。